商人は賢才でなければならぬ――渋沢栄一

2009年6月30日

経営者の言葉

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明治日本の革新的企業者といえば、西の五代友厚、東の渋沢栄一である。

当時の企業家が“革新的”である要件としては、江戸時代の士農工商の身分秩序に収まるのではなく:
諸階層が重なり合う境界的(マージナル)な位置に身を置いた」人物が多いことが言われている*。

これは、その「マージナル・マンの方が既存の階層のそれぞれの価値体系から自由であったから」と考察されている*。

本日取り上げる渋沢もそうであり、富裕な豪農商の家に生まれ、武士(幕臣)になり、維新後は政府官僚となったのである。

渋沢と言えば、第一国立銀行への関与であり、その前後の企業の設立である。生涯に関与した会社は500社にのぼるとも言われ、株式会社制度への移行により、日本の近代産業の基本を築いた人物である。

とはいうものの、当時の株式会社といっても、現代のような形式とは程遠く、有力な資産家グループの集合が株主であった。

このような資産家は、多くの企業に出資しており、非常勤の取締役であることが多く、彼らは事業内容より利益配分にしか興味がない。当然、株主間では紛糾も生じる。

それでも、多くの企業が事業を展開できたのは、彼が、設立はもちろんのこと、事業運営に関する人選、設立後の諸問題をも調整するオーガナイザーの資質が備わっていたからである*。


・・・「有望な仕事があるが資本がなくて困るという人がいる。だが、これは愚痴でしかない。その仕事が真に有望で、かつその人が真に信用ある人なら資本ができぬはずがない」(渋沢栄一)


*宮本又朗, 『日本の近代 11 企業家たちの挑戦』中央公論新社, 1999, pp282-294を参考。


<関連記事>
渋沢栄一(1840-1931)

<参考書籍>


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