学生の頃、生物系の科目を履修したことがある。その教授は、講義の主題を黒板に書いたまま、その後、ほとんど黒板へは何も書かないことがスタイルであった。
だが、試験は、その講義内容から出題されるため(ノートの持込がOK)、ノートは口述の内容を書き取っていかなくてはならない。まぁ、案外、そうした方が頭には残っているもんで、今で言う講義内容(=講師の資料)をパワポで受け取ってしまうと、なんだか、それだけで安心してしまい、熱は入りにくい。
その教授が、論文審査後のパーティで述べた言葉は、ありきたりであったが今も覚えている。
「私達の時代は、専門バカでも通用した。でも、もう通用しない。総合力だ。」
実際、パーティに出席した学生のほぼ全員が企業へ就職したので、そういったことを配慮したかもしれない。ありきたりだが、研究一筋の教授が言うと(退官間際であった)、なんだか重みがある。
とはいうものの、広い専門性の習得にはとても多くの時間を要し、現実的ではない。どうしても“浅く広く”になってしまう。
だが、それは、ネットが大きく環境を変化させた。いわゆるビジネスが“カンニングありの正解なし”といった性質が強くなってきたことも背景に、各専門家へのアクセスが一昔前と比較にならないほど簡単になったからである。
さらに、「サイエンス(科学)とは異なりインダストリー(産業)にはクリエイティビティが必要」で、それらは:
①発明・発見を基本としたテクノロジー
②プロダクトのプランニング(開発の方向性)
③マーケティング
である*。
そして、研究行為に目を向けると、R&D(Research & Development)といわれ、何世代かのステップを踏んできたこの概念は、C&D(Connect & Development)に拡大され、“世界のどこかにいるその専門家にアクセスできれば問題がない”状態で、研究や開発行為が進められていくのである。
ここまでくると、総合力というよりは、マネジメント力といってよい。
・・・とはいっても、最初には何か極める=何かの専門家であると言える程の力量は必要です。
<参考資料>
*『盛田昭夫語録 』小学館文庫,1999, pp186-189.を参照。
<関連書籍>
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