例えば、研究者や開発設計者が、新たに配属されるなどした場合(典型的には新入社員など)、当該設計者(もしくはその卵)は、その製品の種々の因子群について未経験である。
その時に、製品の何かの設定(≒因子)を変更するなど、実験や試作を行っていかなければならない場合、変更すべき因子や設定は、その目的や検証する仮説に基づき決められるが、大抵の場合、その他の因子は、時に、金科玉条のごとく製品(製造)仕様を遵守してしまう。
経験が少ないため仕方がないと言えばそれはそうだが、把握すべきは、因子における“感度の問題”であって、これは、因子の作用の大小、または相互作用の有無に関係する。
具体的には、ある設定を小さく変化させるだけで結果が大きく変動したり、逆に、大きな設定変更の割には結果に左右しないなど、また、ある因子の影響を見るには別の因子の設定が規格外の設定の方が把握し易いなど、である。
経験を積んだベテランであれば、小さな感度の結果に対しても反応できるであろうが、新参者には難しい。さらに、いずれかの機会に結果を示さなければならないのであるから、違いは大きな方が説明がしやすい。
最終仕様を決定しようとする実験ではなく、仮に、A因子に関する仮説を検証することが目的であるなら、製品(製造)仕様の規定値を守る必要などないのである。
当たり前のようなことであるが、このことから何が言いたいのかといえば、新参者にとっての仕様書の値は、所詮他人が決定したことである。
得てして、他人が決定した仕様は“仕様値を守る”ことに専心されるため、製品の全体観をつかみづらいのである。
クレーム、製品の欠陥、工場での生産性など、製品の全体観を養わなければ、本質的ではなく、対症療法でしか問題に取り組めなくなる。そんな設計者は何でも屋、便利屋に成り下がってしまい、ネガティブな事象の責任まで負わされてしまう。
設計者には、製品の一部の設計から始まり、製品の全体観を養い、工場、事業、市場・・・と設計の範囲を広げていくことができる設計力の涵養が求められている。
・・・『一人前になるには10年かかるぞ』とは、あながち、大げさな表現ではありません。
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