ボトム、トップをその当該組織やチームが目標にしていた、顧客へ提供するサービスや製品機能の達成具合だとして、その該当チーム(という単位で考える)は、どのような特徴をもっていたのであろうか。
それは、上司の嫌われ方が金メダル級で…ではなく、リーダーも含めて、チームのメンバーが“主体的”であるかどうかだったと思う。
近年のネガティブな主張として、「日本的な…」と振り返ることがある。より突き詰めていくと、それは、現場の主体的なカイゼンと経営トップの合理的判断とがうまく混ざり合い機能していたことなのかもしれない。
とうは言うものの、この“主体的”なのは、便利な用語で、実務レベルでは、メンバーへの権限委譲であり、リスクを伴うものである。
ただ、企業や事業組織では、その業界特有のあるスパンで、壁に直面するものであるから、持続的成長を遂げるには人材育成が肝要であることを踏まえると、このリスクはそれほど、大きくはない。
どのみち、メンバーが“お手伝い集団”では何十人集っても課題解決の可能性は高まらないので、メンバーに応じた責任を分担することが賢明である。
おそらくは…それにより個人評価が云々―から発する問題のリスクは、日本企業ではチームプレイに価値を見出す傾向が強いので、低いだろう。
詰まるところ、「そのカイゼンチームをどのように結成するか」が大切であるが、それを問われれば、たたき台として(ありきたりだが)シックスシグマの形態を推薦している。(つづく)
<関連資料>
*この中で取り上げられた企業は…こういった書籍は、数年後に読むのも面白いものです。
photo by Maco
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