よく言われることだが―『実験室に閉じこもるな』とは、現場を知らない研究者や設計者を生まないための教訓である*。
*ここでの“設計”とは、典型的に電機業界のそれを指しています。
そういう時代も確かにあった。上記の言葉は、日本の現場がまだまだ元気な時代―『俺達が生産して利益を得ているんだ!』との気概を持つ現場オペレーターが、当時の電機業界での花形部署、設計部へ配属された新人や若い人への発破であった(設計は一人前になるには10年かかると言われた)。
だが、今ではそういう人も少なくなったことだろう。
そういった意味では、現場力はマニュアルの中に閉じ込められている。マニュアルを作った人がいる間はいいが、残念ながら、現場の高給オペレーターは真っ先にリストラされ、その後を引き継いだ給料の低い新人や流動性の高いオペレーターは、マニュアルを守ることに専心してしまう。
設計行為を行うにしても、製品・サービスが長年大きな事故や問題がなければ、創造性が“仕様書”の中に閉じ込められてしまう。
○Aは▲▲±□□℃、Bは△△±□□r/min、これを○○min続けて・・・
仕様書(というマニュアル)は、何らかの仮説&検証がなされて出来たもので、成果の面では、氷山の一角である。過去の設計者の遺物も多くある。種々の事情で変えてはいけない設定もあれば、少し変えるだけで事故につながるような地雷もある。
皆、製品・サービス機能に関して、事故は起こしたくない。それが続いていけば、いつの間にかマニュアルを守ればいいのだ、ということに専心してしまい、手段が目的化してしまう。
ならば、いくつもの事故を起こせば、その都度、対策を立て、製品・サービスは成長していくのだが、そうはいかない。
だから、事故の発生確率を減少したければ、実験室で事故を発生させればいいのである(もちろん、安全性を考慮した実験で)。
それは、マニュアルで規定されていることは無視した大胆な薬品の添加量、混合時間、方法など、一見、お遊びに思えるかもしれないが、設計者の基本は“なぜか?”である。
どうして、この規定なのか、この添加量なのか、入れすぎたらどうなのか?
現場の“なぜなぜ”は管理に向かうが、設計の“なぜなぜ”は原理に向かう。
―例えば、添加量について
『◎◎±□□kgでなければならない』と言われるより
『△△kgまでなら事故にならない(or ●●kg添加しなければ、効果を発現しない)』の方が、もしかしたら、生産現場や品質管理部門では理解し易いかもしれない。
一見、お遊びのような業務に思えるかもしれないが、そのような経験を有している人は非常時に強い。(残念ではあるが)事故が発生してしまった場合の多くは、マニュアルの外側で何かが発生していたり、過剰な安全域の組合せが事故の原因となっていることが多いからである。
市場で異常事態を起こさないように、実験室で異常事態を起こしながら設計していくことが、顧客に迷惑をかけない価値を提供できる大きな要因である。
・・・市場環境を再現するのであれば、実験室を出なくていい。マニュアルの中にさえ、閉じこもらなければそれでいい。
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