標準化とは、作業を機能に分解し、システムが稼動することを目的としている一面がある。作業者は決まった作業を、決まった分量だけ行う。システムの歯車なので、経営者はその作業者に高額の給料は支払わない。
彼らは、戦略を立案したり、システムを構築する作業が、クリエイティブだと感じているからである。
いわゆる経営基幹職である。
しかしながら、この構築は資源の効率は高いこともいえる。現代の経営環境を生き抜く一つの手段である。
問題は、誰でも作業できるということは、そこら辺の製品・サービスと同じで、顧客は高額を支払わないことである。
従って、このような経営システムで運営している場合、多くは低価格を売りにしている。
どうも、最近は低価格高品質の製品・サービスで参入するより、低価格低品質を生み出す経営システムを最初から構築し参入することがあるみたいである。
技術者の観点から、これは産業つぶしである。一つの製品を生む出すには、多くの試行錯誤を必要とする。それが生まれてすぐに、このようなことが起こっては、工場労働者をまかなえない。
現場は日本の製造業の生命線である。
べたなものづくりが日本を支えてきたとはいえないが、少なくとも、日本に欧米や中国のようなビジネスを展開することは、好適ではない。文化の違いである。彼らにはそういう面では敵わないのである。
・・・made in Japan は日本で作られさえすればいいのものか?
*写真は名古屋港水族館にて
0 件のコメント:
コメントを投稿