「技術を使って世界を変える」こと(本書「おわりに」より)。
新たな産業の創出により経済的豊かさを実現する本質的なことに対して、核心にこのビジョンを置いている。ややテクノロジープッシュ的な面はフリードマンの『フラット化する世界』に似ている部分もある。
著者の米国での経験から帰結していることは、米国資本主義はすでに、行き過ぎに達している、ということである。それを、ベンチャー・キャピタリストらしく、企業統治、株主との関係、ROE*の功罪、はたまたビジネススクールの功罪などに言及し、日本が今後、熟しきったIT産業の後に、基幹産業を育成できる可能性と方策を述べたものである。
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*ROE(Rate of Return On Equity):株主資本利益率(自己資本純利益率)=当期純利益÷期首・期末平均の自己資本 で算出され、最終的に株主に帰属する当期の利益額をあらわしている(『財務会計・入門 第5版―企業活動を描き出す会計情報とその活用法 (有斐閣アルマ)』より)。
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ライブドア事件や村上ファンドが頻繁に報道されたときに、多くの人が感じた利益創出のためのあの違和感・・・(儲けりゃいいってもんじゃねいだろう)・・・を詳しく言うと本書になる(ただ、あの時の感情的な個人へのバッシングについては私は否定的です。会計基準への建設的な議論が必要だったかもしれません)。
ビジネススクールで学んだMBA取得者の多くは、株価という名の「企業価値」を最大化することばかり考えています。そのために経費を削ろうとして、メーカーであれば研究開発費を削り、中央研究所も処分すべきだと主張します(pp49-50)。
これは簡単な話、ROEの分母を削ることで、指標を改善することがネライで「従業員を解雇したり工場を売却したりして外注し、資産を圧縮する(p50)」ことに企業価値向上を見出しているためである。”当期”の間に出来ることはこれぐらいでしかない。だから、中長期のR&Dが嫌われるのである。内部留保がいいように使われるのも、このためである。
従って:
「「企業は株主のもの」という考え方を基盤に経営を行っている以上、理想的なコーポレート・ガバナンスなどあるはずがない(p136)」のである。
とは言っても、本書で述べられているテクノロジー*が日本で基幹産業的に発展する利があるとしても、日本の経営風土に対して:
「日本の社長は自分で決定しない。社長は担当役員に任せ、役員は担当部長に任せ、部長は平社員に任せる。それでまた上に戻ってくる(p226)」
のごとく、ある技術ひとつについても見る目が無いことがある。
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*文中のテクノロジー:PUC(Wikipedia)のこと(専門家ではないので詳細については明るくありません)。
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さらには、蔓延する「ブランド志向」についても:
(例えば海外のいいベンチャーが開発した技術に対して)
「(それは)どこの会社と提携してますか(p229)」
と他の企業や有名企業が採用していないと採用しない横並び意識、もたれあいが技術を育成する点においては悪影響であると指摘し、いわゆる企業ユーザーに関して”アーリー・アダプター”が少ないとしている。
企業は社会の公器とも言われるが、利益を出さなければ淘汰されるのも事実である。あまりに短期的な利益要求が経営をマネーゲームにしているが、株主を悪者にできないのは、大きな支配者ではなく、多くの人の年金基金であることが多いためである。
R&Dと生産現場のすり合わせ、将来を有望視する赤字事業の継続・・・日本を考えた時、この米国化は日本の製造業の強みを奪ってしまう。
・・・MBAは会社を滅ぼしてはならない。
*ちなみに、米国ではR&Dはベンチャーが担っており、比較的資金は豊富で、大企業は買収するのが主流です。
<参考書籍>
*こちらは糸井重里と原丈人の対談(敬称略)。
http://www.1101.com/hara/
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