自動車の機能を維持しつつ、環境や人体への問題をクリアするためには、燃料である石油の使用を無くす、もしくは、それまで逓減していくことである。
このような状況のとき、経営力が垣間見れる。自動車は政治的な配慮も必要になり、日本、米国の企業が、また、代替エネルギーで参入してくる新規参入者が、どのような行動をとるだろうか?
クリステンセンの指摘の指摘のように既存の企業は対応できないのか。いや、これまでがそうであったように、日本の企業は対応していくのであろうか。
本書は、自動車産業と石油産業に焦点を当てている。
多くの起業家や、業界内部の革新者や、業界外部の人間がいま、イノベーションを加速させようと取り組んでいる。それはこれまで既得権益層である大手の自動車メーカーや石油企業によって意図的に避けられてきたイノベーションだ。既得権益層は地球を救うための努力を怠ってきた。地球の最期をいくらか延ばせる程度の小手先の改革しか行なっていない。自動車業界は技術的にはもっと燃費のいい自動車を生産できたのに、そうはせず、燃費のよくない自動車を作りつづけた。(本文「はじめに」より)
本書は、大きな論旨としては、自動車、石油産業を切り口に、環境問題へ対応していくには、石油の代替ではなく、クリーンなエネルギーを結集させていくことを広範な調査をもとに述べているものである。
- 自動車で言えば、エタノール、電池などの代替エネルギーに見られるように、次のイノベーションの担い手は何なのか。
- 石油産業の力はどれほど強いのか。
- 燃料電池車を手がける企業が本当に最終的な勝利者なのか。
- 中国、インドなどガソリンインフラが整っていない国や地域が新たなインフラを築きやすいのではいか。
イアン・カーソン他『自動車産業の終焉』二見書房 より。
* * * * *
さて、日本についてはどうだろうか。簡単ではあるが、考えてみたいと思う。
本書の第四章「プリウスを手本に」でも、トヨタの概観している(見慣れたトヨタ礼賛論)。この内容はトヨタに関わらず、日本の製造業の特徴であることが多い。
プリウスを例に考えると、その代表格であるバッテリーはトヨタと松下電器産業の共同出資企業が提供し、鋼板は新日鉄と共同している。
いわゆる、部品メーカーとの「すり合わせ」の結晶であり、日本以外はこのプロセスは実行しにくい。これは、独自の文化であるからどうしようもない。日本の強みである。
シャープの液晶もそうだが、東レの炭素繊維のように長年、赤字事業でも経営者が容認できるのは、米国型経営では出来ない。米国型経営では、R&Dは嫌われ(ベンチャー企業が担っているので)、M&Aが好まれるからである。
その炭素繊維も航空機に採用され始め、今後は軽量化のために自動車に適用されていくことが推測されるが、そうなれば、ますます日本勢が有利である。
日本の強みである「製造・組立が付加価値が高い業務工程」と認識されるのは、モジュール化され、部品が集まれば、誰でも製造できる分野ではなく(例えば、PCの組立など)、上記の「すり合わせ」型が重視される製品において、このように言われるのである。
スマイルカーブから言っても、「すり合わせ」がいらない製品の組立・量産は利益率が低いだけで、誰でも製作できるようにすることが重要でないことは言うまでもない。
そういった意味では、顧客の要望を、研究開発できる、製造現場へ反映させる、のプロセスを強化していくことが重要であるが、「設計部」などはその役割を担うことが出来る。
要は、英語に直して、翻訳しにくいワードが外国に対するアドバンテージのヒントかもしれない。
原油価格が下落しても、日本企業は研究開発を続けていくことが推測される。その技術は極められ、「すり合わせ」を行い製品へ反映されていく。そして、地道に顧客の要望をカイゼンしていくであろう。
本書のオビでは「日本の自動車メーカーも安泰ではない」とされるが、現在のところ、日本の自動車メーカーが一番有利である*。日本のものづくりはアナログさが大切なのである。変に米国化されないことを望むばかりである。
*プリウスのようにインフラを整備しなくてもいい場合(整備しなくてはならない自動車やプラグインが主流になると、既存企業よりも新規参入者の技術者の方が熱心であるし、政府の政策や石油産業の動きも絡み状況が複雑化される)。
・・・R&Dと生産部門とが「すり合わせ」により優れた製品を製造する。ROEを単に上昇させるために、生産部門を切り離すなど財務ゲーム(企業、産業を金融商品化する短期売買ゲーム)は日本の製造業には必要ない。製造業の使命は、優れた製品をつくることである。地道に、忍耐強く、米国かぶれのアナリスト、株主の批判に耐えながら、その作業を行うことが日本の製造業の生命線である。
<参考書籍>
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