―その道の達人に―
とは、よく言われ、特に新入社員へのメッセージではよく聞く台詞である。
今日の記事では、宝塚、歌劇団、阪急といえば…の、小林一三を取り上げる。一度、このブログでも取り上げたことがある(過去記事はこちら)。
消費者志向と言えば、聞こえはいいが、彼が企業家として活躍する第二次戦以前は、そういった企業家は少なかった。その彼を評すると:
「日露戦後から大正期になると大阪は近代的工業都市としてさらに発展、人口が急速にふくれあがった。高速輸送機関としての電鉄を、住宅地、教育・レジャー・文化施設、ショッピング・センター(ターミナル・デパート)などの開発と関連づけて経営しようとした小林一三のアイディアは、その後の日本の私鉄経営のモデルとなった。」
である*。
その彼も、当時勤務していた三井銀行を辞職したが、次の証券会社も折悪く株の暴落により立ち消え、阪鶴(はんかく)鉄道の監査役へ就任する(が阪鶴鉄道も大きな問題を抱えていたが)。当時、関西の方にはおなじみの、梅田・箕面・有馬、宝塚・西宮を路線とする電鉄会社の設立も計画していたが、危ぶまれていた。その事態に対して:
「自分の一生の仕事として責任を持ってやってみるという決心」
で望んだ一三は、上記のモデルを作り出すことになるのである**。この開通しようとしていた箕面有馬電気軌道株式会社が、後の阪神急行電鉄=阪急である。
・・・「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」(小林一三)***。
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○小林一三(1873-1957)
<参考資料>
*現代企業家の戦略的役割より(関西学院大学)http://www.kwansei.ac.jp/iba/entre/column/vol1.html
**三井銀行からのくだりは、下の参考資料『企業家たちの挑戦』より。
***最後の言葉は下の参考資料『心に響く 名経営者の言葉』より。
photo by Maco