小林一三(1873-1957)

2006年12月16日

書籍

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小林を考える際、挙げなければならないキーワードは”first mover”(一番手)である。ある製品・サービスを発明、開発したにせよ、企業的に成功させるには大規模な投資が必要である。  

構想があったにせよ、一番手企業の成功をみて、「あれはうちが考えたんだ」といってもはじまらない。大型投資をしなかった時点で、その経営者は「私は無能である」といっているようなものだ。  

鉄道、沿線事業、百貨店、宝塚・・・いずれのコンセプトの発明者ではない。しかしながら、経営において、最も評価されるのは、first moverである。コンセプトの発明は従業員が評価されることだからである。発明は、経営ではない。 

阪急百貨店:関西では高級百貨店のイメージが定着している。それは、鉄道が宝塚、芦屋、夙川などの高級住宅地に密接しているかもしれない。否、一三のコンセプトからいえば、「ターミナルに開設すれば、先発百貨店の客吸収能力」を出し抜ける、らしい。  

「高級」はさておき、当時は呉服業出身が百貨店では多く、一三は素人同然と見られていたこともあり、慎重にことを進めていった。阪急ビルディング建設後、種々検討し、阪急百貨店開設はその9年後であった。 

食堂:百貨店といえば・・・食堂!私も小さな頃は・・・いやいやそこまで歳はとっていないが・・・当時おお賑わいであったことが知られている。阪急では、「いらっしゃいませ」にはじまり、5,6程度の台詞以外、客に話しかけることを禁じられていた。  当時としては味気ないことだが、ファースト・フード店なみのマニュアル操業である。 

鉄道:箕面有馬電気軌道・・・箕面といえば紅葉や滝、有馬といえば温泉、ここを結ぶのは遊覧鉄道である。お客が見込めるのか。その鉄道は統括式制御器を早くから装備していた。

そうである、紆余曲折があったにせよ、いずれは京阪神を高速で結ぶ構想があったのである。 当初、梅田・箕面・有馬・宝塚・西宮を路線としようと計画し、あわせて、住宅地の開発・販売に池田、豊中、岡本、千里山、甲東園、稲野(現伊丹)を考えると、現在の路線に納得いくことが多い(京都線は京阪と合併)。

のちのことになるが、関西学院、神戸女学院にも土地を格安に提供している。 ちなみに、箕面有馬電気軌道は有馬まで延長予定であったが、資金難のため宝塚に温泉客誘致を図ったのである。 

 こういった背景があり、現在の阪急文化が形成されたのかもしれない。  

・・・この分野において、ことの淵源をたどれば、発明者はどこかの企業にあたるだろうが、事業で成功させた淵源を辿ると小林にしか行き当たらない。 


 <参考> 
宮本又朗, 『日本の近代 11 企業家たちの挑戦』中央公論新社, 1999, pp374-388.

 photo (c) Maco

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