機械が稼動すれば、不要なのである。
しかし、彼らが参画すると、合理的な経営方法が採用され、大いに発展に寄与したといえる。この淵源を日本で辿っていけば、大阪紡績、山辺丈夫(1851-1920)、菊池恭三(1859-1942)は避けられない。
彼らの特徴は、イギリスでの経験である。この当時、研究されている多くの人物での海外経験率は極めて高い。銀行をはじめて設立した渋沢もまたそうである。
海外での進んだ経営(工業的なものも含めて)を日本へ持ち帰り、率先して導入している、ということが大きな共通点かもしれない。
合理的な経営方法も見受けることが出来る。
例えば、菊池の経営方針は物心両面の徹底した合理化である。
「極力ムダを排除して生産の昂揚と資本の蓄積に力を注ぐことを要請した。社員が鉛筆、ボールペン一本の支給を受けるにも、今まで使っていたものを提示して使用できなくなったことを証明することを求める程であった。」
ここまでとはいかなくとも、この考え方は現代でも生きている。ムダの排除は財務体質を良好にするとともに、社員への教育においても最適な考えである。最も有効な時期は、当時のように、欧米に技術が劣っており、どこを模倣したら良いか把握できており、完全なる追随者であるシーンであろう。
これを全面的に打ち出すことは、現代の経営では全体ではなく、部分である。でなければ、「品質」の方向性が予測困難になっている、また、生産している製品も多種多様である現代において、これほどまでに経営教育が重要視されるはずがない。
経営方針(手法)は市場、技術、社会を鑑みて策定するものである故、現代では、柔軟性のあるものとなる。状況に応じて変化させていくものである。
従って、一般解はない。企業の特殊解であるが、ムダの排除が経営方針の序列で一番になることはない(ピュアプレイ企業はありえるかもしれないが)。ましてや、全面的に行なうことは従業員が疲弊するだけで、それこそムダである。
・・・もし、一般解だと信じて、全面的に進めている企業があるのであれば、一世紀も前の亡霊にうなされることであろう。
<参考>
『日本の近代 11 企業家たちの挑戦』pp248-278.
photo (c) Maco
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