これは、通常の業務でもいえることである。
何か新しいプログラム(手法など)を導入する際は必ず、反応がおこる。たいていの場合、サラリーマンである以上「やるしかない」というのが一般的な反応である。
時に、突然変異的に特殊な生成物が生まれることもある。多大な興味を持ち、その道のプロに徹し、そこを基点として種々に発展していくことがある。これは、通常の業務にも非常に良質な価値をもたらし周りに波及する。
副反応として、活動に反対することが起こってしまう。たいていの場合、彼ら彼女らの口癖は「所詮・・・」である。数十のプロジェクトを行ってきた経験から、この傾向は開発(研究所や設計部門)行為に従事する者に多い。
彼ら彼女達は自身のノウハウ、進め方を持っている。誰でもそれを変更することは面倒なことである。特に、これまで種々の手法が導入されてきた生産現場では「またか」という思いになる。
この現象は、ある組織に何らかのエネルギーが加えられた後、種々の波長で散乱することに類似している。自然現象に近い。従って、処方箋はない。
そこで、見方を変えて、組織、人を観察することが有意義である。
「この事業部はこの活動を行うことで、誰が中心に動き、どのように変化していくのか」
本当に賢い人は、それが効果が薄い手法だと分かっていても、そこから、現在プラスアルファになるように活動を展開していくものである。
ある意味潔い。否、cleverなのかもしれない。前進的な議論が展開できるので、不思議にもその組織(部でも課でも)は通常の業務においてもソツがない。
そこで、少し調べてみた結果―そういった組織の長の傾向は「誠実」な人が圧倒的に多いことがわかった。
「あの人に迷惑はかけられない」
「あの人の負荷を小さくすることが私の責任である」
「この部分は自分がマネージし、あの人を助ける」
なかには、「あの人はこの事業の良心である」とおっしゃる方もいる。
・・・ベンチャー・キャピタルがスタートアップの企業に投資する際、その技術・サービスより経営者(もしくは経営姿勢、体制)を重視する傾向にあるように「お金」は人についてくる。「人的資源」もまた「人」についてくることは、忘れがちだがいつの時代においても不変の現象ではないだろうか。
photo (c) Maco
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