データを読み取ることは、意外に難しい。
以前も記載したことがあるが:
(何かの費用や負担などが)
『1.0%が2.0%に増加するだけなんで』
といわれれば、即座に、
『それは、2倍の負担ではないか』
(100%アップである)
とは気づきにくい。
企業でも、今、まさに見ているデータには、それを支える論拠と根拠があると思いたいが、得てして、自らの都合のいい論拠、根拠を収集している場合が多い。
だからといって、数学を学習すればいいと言うものではなく、このような数字の見方は、当たり前の話だが、場数である。経験がものをいう。
研究、開発などに従事している方は、特に、経験していると思うが、最初にあるのは仮説である。結論ではない。結論があれば、それは、まさに都合のいいデータ収集となる。
例えば、“景気回復”―誰もがそう思う。
前年比○○%回復!など、企業でも売上などを指標にすることもあるが、これほど曖昧なものもない。例えば、下のグラフは、内閣府が公表しているGDPに関するものだが、近年のボトムを基準に、○○%回復!など言われても、推移をみれば、まだまだなのだとわかる(*データの詳細は内閣府:国内総生産(支出側)及び各需要項目を参照)。
パーセントは実数にしてみなければ、わからないものなのである。
類似で、“経済復興”―特に地方はそうであろう。
これは、何を指標にするのかが重要である。首長が、復興だ、復興だと息巻いても、当該地方のGDPを伸ばすことが目的なのか、直接的に税収を伸ばしたいのか、失業率を下げたいのか、生活保護者を減らしたいのか、一人当たりの収入を増加させたいのか・・・
数字にしなければ、カイゼンすればいいのか、改革なのか、ゼロベースで行なわなくてはならないのかさえ、わからないものである。
・・・仮説は検証するもの、結論は導くもの、データはそれを支持するものであって、騙すものではありません。
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