「リコールで表面化したトヨタ式カイゼンの限界 ――新しい設計思想への契機へ」日経BPネットより。

2011年7月13日

イノベーションレポート 設計

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本日は、トヨタのリコールに関するおよそ一年以上前のことを振り返る。参考にする記事は、「トヨタ式カイゼンの限界」についての記事である。

これは、経営上の対応としての一面、技術的側面として、当該技術者とはどのような資質が必要なのか、どう育てるのか、など多くの示唆に富んだ記事である。

以下内容を抜粋する(太字はブログ運営者による)。

  • エンジニアは入社以来、細分化された専門分野ばかりを担当しており、全体を見渡す機会が少ない。
  • 全体を見渡せる人材が育ちにくくなるという弊害
  • 小さな優れたものを積み上げていくというトヨタ式のやり方では、もはや大きな安全は担保できないレベル
  • 複雑系の管理」をするための新たな取り組みが必要
  • (個々の技術者は自分の設計したところで事故が起こることを極端に恐れ、かなり余裕のある安全係数を盛り込むことは、結果的に)
  • トンデモナイ安全係数の積み重ねとなり、コスト高となるが、それで全体の安全が高まるわけではない。不必要な贅肉が付いている分、安全性や機敏な対応性能が低くなることもあるのである。
  • 主任設計者の主任たる理由とは?積み上げ型の思想では対処できない問題にどのような「新たな思想」で取り組むのか?

“設計”という行為は、“研究”、“開発”とは異なり、その主役は「総合」である(研究、開発の主役を“解析”とすれば)*。

設計者の育成は、当該製品の研究分野に明るく、製造過程にも深く入り込み、過去の事故の傾向の把握、そしてシミュレーション、また、販売部門との協働・・・などその業務は多岐にわたり、“一人前”になるまでは10年かかると言われるほどである。

しかしながら、そのような資質をもつ従業員が“主任設計者”という管理も含めた職務の資質があるかどうかはわからない。

全体を把握する従業員、もしくは(極めて人数の少ないコアの)少人数チームが出現する――とは、非常に根気のいる経営事項であり、自動車のような複雑な製品では、もはや無理かもしれない。

ものづくりとは、それほど複雑化している分野もあるのである。それに対応していく新たな設計思想とは、カイゼンではなく、ゼロベースで思考していく中で生まれてくるのであろう。

・・・設計の主役はシンセシス(総合)である。新製品を生み出すエンジニアリングの過程では、解析(アナリシス)も重要だが、製品に関係する多数のパラメータを総合して、全体的な最適化を図る総合がさらに重要である**。



<記事の参照元>
○「リコールで表面化したトヨタ式カイゼンの限界 ――新しい設計思想への契機へ
2010年2月16日,大前研一の「産業突然死」時代の人生論,日経BPネットより。

<引用など>
*)**) いずれも下記の書籍の「第五章 設計の概念」p163 を参考にし記載した。

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