工場での“待ち時間”―待つのか、準備するのか?

2010年8月22日

つれづれ

t f B! P L
「日本人は勤勉で倹約である。」


とは、一見死語のようだが、グローバルにビジネスを拡大している企業にとっては、性善説で物事を考えられる数少ない国・地域である日本をありがたく思うこともあるだろう。


その日本の多くの製造業の現場では、昔(60年代ぐらい)から高品質が当たり前で、若手も自然にベテランから教わり、また技術やコツを盗み、ものづくりの底力となってきた。


同じ製品を製造していても、(各企業の戦略が異なるので当然の面もあるが)各企業ごとに明文化されないマニュアルは息づいている。


多くの場合、現場のオペレーターは動いている。生産が予定通りに計画をこなしても、時間が余ったのなら、次の準備、また工具や生産機器のメンテナンスを自発的に行う。

こういったことがあるので、設定しているメンテナンス日にも生産が出来てしまう。


彼らに“待ち時間”はないのである。


ただ、製造方式はこのような日本式が唯一ではない。こういった方式は、阿吽の呼吸を要するので、システムの移管(海外展開など従業員が異なる場合)は困難を極める。


中程度中価格(低価格)の製品であれば、合理的なシステムを構築し、マニュアルどおりにオペレーターが製作していくことが肝要である。


高品質化への努力や、ムダ削減への提案はいらない。それは、別の従業員が考えるからである。その人の仕事を取ってはいけない。


このような工場では“待ち時間”は待つことが仕事で、ルールに基づいて待たなければならない。要は、その時間は、動いてはいけないのである。


どちらが正しいという議論ではなく、当該企業の歩む方向により、適宜選択していくことなのである。


そういった中にあっても、厳しい経営環境において、コスト削減の旗印の下、経費削減の一番手である教育費を削減し、構成員へは教育を促さず、やがて訪れた危機的な状況に対して“従業員の能力欠如”を要因に挙げ、その寄与率が結構大きいと論じてしまう傾向があるかもしれない(これは経営幹部の経営教育もそうである)。


また、あまり構成員の能力に頼ることの無い生産方式で(完全に動きがマニュアル化されているなど)、安価で流動性の高い労働力に頼りながら、一見、正しい“高品質な製品・サービス”を口にする状況もあるだろう。


さらには、構成員の中にも、まるでホテルに住んでいるがごとく、クレーマーのように、あそこが出来ていない、ここを何とかしてくれ、あいつはこうだと、口しか動かない高給取りも存在することだろう。


経営も難しい時代になりました。。。


・・・辞に直(なお)くして事に周(あまね)からざる者或り.(言葉の上では正しくても、実際には適合しないことがある。『淮南子』人間訓より)ですかね。。。



<参考文献>
○楠山春樹 (著), 本田千恵子 (編集),『淮南子 (34) (新書漢文大系)』明治書院, 2007, 人間訓 pp99-102.

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