“非公式な小集団”はイノベーションの担い手。

2010年1月31日

有意差あり!

t f B! P L
私が入社した頃の話である(手前味噌だが・・・)。

研究開発の中でも、“新入社員独特の疑問”というものがある。それは、いわゆる、「先輩の常識」や「その業界での常識」である。

特に、それらを疑っているわけではなく、多くの技術者や研究開発者がそうであるように、自分の手で確かめないと納得しない、のである。

だから、それを確認する実験や、明らかに自らの興味で試みる実験、検証の際は、残業は関係なく実施していた。というより、現在ほど、残業が管理されていなかった、と言うべきかも知れない(いい意味で)。

*研究開発業務に時間労働(9時―17時など)を求めるほうが?だという議論もありますが、逆にそうすると、労働時間の如何に関わらず、給料が固定されているので、残業してまで業務を行なう従業員が減ってしまうという反論もあります。グローバルな企業間での競争は悠長なことは言ってられない状況なので、企業により様々です。

それは、新入社員でなくなっても続いていたが、時に、同期とともに、時に、先輩、後輩とともに、いわゆる、当該実験の仮説検証の目的を共有した、小さな、小さなグループで実行されていった。

善意の小集団である。

“創造的”であることが求められる業務において(ほとんどですが。。。)、この集団は極めて重要な役割を果たす。例えば、新技法などを試みる際に、企業は、いきなり導入はせず、ある一定規模の集団で試してから次の意思決定を行なう、などである(逆にそれがマイナスである場合もありますが*注1)。

はっきり言って、効率的な仮説検証は存在しない。ほとんど、失敗の積み重ねがモノをいう。


だから、この小単位の活動は、地味だが強力な創造的行為なのである。


「ちょっとやってみよう」、この言葉から始まっていく。何であれ、やってみなくてはわからない。通常、多くの従業員は、ある程度の裁量がある。数人集うだけでも、結構な試みはできるものである。


それができない組織なら、あきらめるしかない。日本が技術立国といわれた所以は、そのカイゼン体質もあるが、そうした目に見えない(経営陣が気づかない)所での、努力なのである。GEの様に、パンチのきいたCEOが現れて、劇的に変化、成長していったなどの例は、ほとんどない。



・・・なんでも、「遊び」の部分は必要です。



*注1)発明技法であるTRIZでは、その「発明」という性質上、成果を得るまでには時間がかかる。従って、“小集団の善意”程度では、上司やTRIZを進めた人が、その成果を待てないのである。以下に、その様子の表現を引用する。
企業においては、研究所や技術部門や知的財産部門などで、ボランティアの先駆者たちが、まずTRIZ の学習を始め、TRIZのソフトウェアツールを使い、関心を同じくする人たちとのグループを作り、TRIZの専門家やコンサルタントを招いて入門セミナーを組織し、実地の問題にTRIZを適用するなどのことを試みた。

これらすべての「業務外」の活動をするためには、彼らはその上司を説得する必要があったが、上司たちの多くはTRIZについてそれまでに何も知らず、また「超発明術」というキャッチフレーズには懐疑的でさえあった。

かくて、これらの企業内先駆者たちが、問題解決において実地に成果を出し、また仕事の中でTRIZを学習し適用していくことに興味を持つ仲間たちを数人から20人ばかり獲得していくのには、随分長い時間がかかった。筆者が、TRIZの推進に「漸進的導入戦略」を推奨したのは、このような時期であった。

中川徹, 「日本におけるTRIZ/USITの適用の実践」, TRIZCON2004, シアトル, 米国,2004.4.25-2より引用。

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