“何をどこで、どのように学べばいいのか”に自分の考えを持つことが“人材”の第一条件かもしれない。

2010年9月26日

つれづれ

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日本・江戸幕府初代征夷大将軍―徳川家康(Wikipedia)
中国・唐朝の名君―太宗(Wikipedia)

また、日本の近代史における、維新前後の活躍した人材―維新の立役者と後の体制の中心者たちなど・・・。

と言えば・・・「創業と守成」という面でこれらを語る(or 語られる)ことが多い。


ビジネス面では―
事業で言えば、立ち上げる、成長、維持していく―
製品・サービスで言えば、新たな機能を付加していく、既存機能を成長させる―

というようなもので、どちらの側面も大変な作業である。


だが、企業においては、製品群、ひいては事業群のライフサイクルのマネジメントを鑑みると、この両方をマネージしていかなくてはならないことは言うまでもない。

この基本的な資質は、「思考の柔軟性*」といわれている。

それは、過去の成功をキッパリ忘れて、意識を変革していかなければならないからである。

*大前研一, 『企業参謀―戦略的思考とはなにか』, プレジデント社, 1999, pp242-247の趣意。

とはいうものの、原点-企業であれば創業精神やそのスピリッツと呼ばれるもの-を忘れさるというものではなく、むしろ維持していくことであろう。


優秀な学生を集めるだけ、また一流企業からスカウトするだけでは企業は取り残されてしまうものである。

近年では、「企業大学」が成長している。もちろん、真新しいものではなく、古くから存在している概念である。たが、現代の経営環境の急激な変化のひとつのシグナルかもしれない。

“学ぶ”空間も人材も共有してこその何かがそこには生まれるのだろう。

*企業大学のくだりは以下の雑誌の記事を参照しています。
「進化する大学」, ニューズウィーク日本版 2010年 9/22号, pp26-35.

もちろん、このような現象は、大学側にはアレルギーがある。「私利私欲のない学問も確かに重要(p28)」である。


とはいえ、例えば、物の売り買いひとつしたことのない職業教師に学ぶ“○○学(何らかの科目)”は、大学を卒業後、ほとんどは産業界へ巣立ってしまう生徒にどの程度有用であろうか?

反対に、貨幣を測定系に用いることに長けた企業教師に、一見、その価値が低そうな大学の基礎研究において、真理に重きを置く科学で研究をリードできるであろうか?


もちろん、(当たり前だが)これには解答がない。


何らか価値を最大化するビジネスにとっては-
    以前の日本のような加工貿易立国であれば、工場のオペレーターが行うカイゼン作業こそが“学び”の場であったように・・・
どこで、何を学べば、価値を最大化できるのかに決まりはない。


・・・学び続けることで“思考の柔軟性”も生まれるものです。

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