それは―
自分の参入市場をなるべく狭義に定義し、シェアを高めに計算する癖(p221)
のためである。
「戦略的」思考の入り口は、ものの本質を考えることである。単なる報告用のシェアで、今後の議論が出来るだろうか?
このようなことが起こる背景には、いつのまにか組織が官僚化している場合がある。もちろん、官僚化自体が悪ではないが―
既存の事業領域のなかで、コストダウンをしたり、改良設計を行っていることだけが事業計画(p396)
と考えている人が増加しているのだろう。
そうして、企業が硬直化すれば―
有機的生命体としての意思決定ができずに、手は手だけで、左肺は左肺だけで最適化(p305)
しようとしてしまう。
企業は、あらゆる手段を用いて、上記のような思考を回避したり、克服したりしなければならないが・・・
さて、そのような問題、課題を解決する「戦略的」思考は何によって成否を問われるだろうか?
それは、財務情報である。
企業はキャッシュフローがなければNPV(正味現在価値;解説は野村総合研究所)すらマイナスになり何の価値もないと見なされるゆえ、基礎研究であれ、生産現場のQCサークルであれ、最終的には財務情報に帰さなければ意味をなさない。
現代の会計学やその周辺の財務手法では、それは可能である。いや、財務情報に落とし込まなければならない、とした方が正確であろう。
手段が目的化してはなりません。
・・・この著作は1975、76年のものです。。。
<参照元>
*この著作は(=上の書籍)、1975、76年著作の新装版です。著作は古いものですが、ものの考え方に変わりはありませんのでご参考ください。
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