“何故、利益が向上しないのか”
について責任論に収斂しようとする不毛な議論、小競り合いも含めると、(各部門が専門化しているのであれば)ほとんどの企業で見られる光景である。
そういった中では―
販売・マーケット部門は―
- 技術的訴求を満たした製品の売上が向上すれば、営業力がついたと言い、それがない場合の低迷では、技術陣の責任を問う。
開発・技術部門は―
- 技術的訴求を満足できなかった製品の売上が向上すれば、過去からの技術の積上げが評価されたと言い、製品の機能を向上しても売れなければ、販売戦略の至らなさを叱責する。
これらの組合せをマトリクスにしたところで将来的価値のある議論は期待できない。
即席な対策で案外行われることの多い「人材の交流」といっても、管理職以外では、販売・マーケット部門から技術部門への移籍は業務上困難なため、実質一方通行であり、本社色の濃い技術部員が増加する程度の効果しか期待できない。
かといって、販売部員がリッツ・カールトンで研修したからといって、売上が増加するわけではない。
問題なのは、詰め腹を切らされる―という背景があるということと、本質的な問題解決のアプローチの仕組み、風土を組織が有しているかどうかである。
上記の構成員が経営陣と同様の責任や権限を有しているわけではないので、責任、権限を限定された人員での会議の議題が“低迷”に関するものであれば、議論は、責任の所在となることは自明である。
で、責任が明確化されたところで、その会議の間も、またその後も製品・サービスは改良もされないのである(実質、余程の過失がない限り、責任部署が何かしらの改良をしたところで、“低迷”から脱することは少ないだろう)。
・・・責任の所在より、原因の所在です。
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