ティッド他(2004;右欄の書籍)が指摘するように:
「潜在的に関連のある技術分野のすべてにおいて、自社内で専門性を維持することができる企業は現在ではほとんどなくなってきている。」
ということである。
多くの伝統的製造業は、“カイゼン”程度では、現状はよくならず、次の期ばかりを気にした全社的なコストダウンを繰り返していては、やがては、当該組織の強みも、なくなってしまうことを示唆しているといえるだろう。
その組織も、業務の手続きも、大きな組織(集団)の中では、専門化が進み―
「“集団”の持つ利点のひとつは、“専門化”であり、これは、当該集団の目的を効率よく機能することが多い。負の側面は、この専門化のメカニズムのひとつの“良心の分散化”である。この過程では、個人の道徳責任が集団の他の部分に転嫁される可能性があり、また、転嫁されがちとなる。(趣意)」
M.Scott Peck 著, 森英明訳,『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』, 草思社, 1996, 第5章 集団の悪について、pp263-264より趣意.
といったことが進んでいるかもしれない。
確かに、企業の手続書には、多くの人のハンコがついてある。例えば、事故が発生した時、開発者は、
『開発品の検査で発見できなかったんだろう。品質保証の問題だ。』
と言うかもしない。こんなことが種々の部門間で出てくれば、声が大きいか、当該企業で力のある部門のいいなりであろう。
このような時、よく、このブログでは、「中心化しすぎた“企業や資本の論理”を、できるだけ、ヒト(従業員など)の論理へと――」と、記載することが多い。それは―
「個々の人間が、それぞれ自分の属している集団――組織――全体の行動に直接責任を持つ時代が来るのを待つ以外に道はない。」
同書 第5章 集団の悪について, p264.
と、理想論かもしれないが、こういった主旨である。
とはいっても、その流れを変えゆく、従業員の特性は、企業活動の中核をなす“触発された従業員同士”でなければ育たないものである。企業を変えゆく第一歩は従業員からである。
それに気付き、具体策を実行する第一歩は経営者でなければならない。
・・・イノベーティブな組織―案外、そういった責任感のある従業員の集団であれば、そうなるのかもしれません。
*本ブログでは、企業経営に関して記載しましたが、本書は、「心理学」に分類されているものです。
<参考書籍>
photo by Maco
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