
研究開発現場に関わらず、“相関”はよく使用する、または耳にする言葉である。
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あなたは、ある病気を調査しているとしよう。
現段階では、ある微生物が原因となって発症することを突き止めようとしている。患者の体液サンプルを入念に調査し、『どうも、病気を発症している患者には、この微生物が存在する』という確からしい調査結果である。
いわゆる、「微生物の存在と病気の発症に相関関係がある」といえる。
だからといって、病気の発症の原因と結論付けるにはまだ早い。
因果関係が調査されていないからである。因果関係は、その微生物を使用して、原因と思われる状況を人為的に作り出し、結果を得なければならない。
福岡伸一, 『生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
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上記の例ほどではないにしろ、工場においても、データの収集後、まず何かの因子同士に相関関係があるか、否かを分析するところからはじまることが多い。
相関性が高ければ、因果関係を調べていく。
が、見えない(=上の例では、光学顕微鏡で確認できる微生物が原因ではなく、(確認できない)ウィルスであるなど)場合にも因果関係がある場合もある。
年月が経ち、ある分野でベテランとなると、嫌な胸騒ぎがするのは―
「相関がない」、もしくは
「有意差がない」
である。
もちろん単因子の場合は、そうではないが、多くの因子を扱ったデータを分析している時は、「なぜ因子として実験に組み込めなかった(もしくは測定因子に組み入れなかった)のか」という楽観的な胸騒ぎというよりは―
原因は、何かこれまでとは異なるメカニズム(や系)なのだろうか?
という悲観的な胸騒ぎである。
特に、研究や開発での行為の場合というよりも、ネガティブな場合(=事故品の再現実験など)がそうである。
・・・こういった行為は、冷徹なまでに客観的でなければなりません。
photo by Maco
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