経営には”合理性”が求められ、「業績」こそがすべてである面がある。たとえ、経営者の人が良くとも、誠実であろうとも、時にエンジェルであろうとも、業績不振はその経営権を奪う”結果”となる(不運な事故や外部環境の変化などの場合も)。
そういった中で、保たなければならない倫理に関する経営者の葛藤は経営者にしかわからない。宅急便の生みの親である小倉昌男は、まさに、若き日に感銘した『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)』での中の葛藤が、倫理を基盤とする経営を志向するになっていった*。
だが、小倉を宅急便の父にしたのは、そのような倫理観でも、使命感でもなかった。70年代に競合企業であった西濃運輸、福山運輸に比べて、格段に低い利益率であったヤマト運輸の厳しい経営状況であった(売上高に対して;競合の8-12%に対し、3%にも満たない状況であった)。
このことが、後に「清水の舞台から飛び降りる」と述懐した、”小口宅配”を決断させた後押しとなっている。それ以前の業界の分析、牛丼の吉野家、マンハッタンでのUPS(United Parcel Service)を見ることで、その可能性を確信はしていたが、このことが大きな賭けであることには間違いはなかった**。
今で言えば、ロングテール…だが、そうであるならば、小口宅配、いわゆる宅急便は家庭の1個の荷物を集荷、配達するのであるから、それを集約するシステムを構築するところから始めなければならない。
と、その前にお決まりの「時代遅れの規制行政がネットワークの拡大を阻んだ**」ことも手伝い、いくら利益率が高いビジネスであろうと、一見、デメリットは多かったが、後に背水の陣で望んだ全国展開は成功を収めるのである(従来の三越などの大口顧客と決別していたので背水の陣であった)。
この辺がヤマト運輸の激動期であり、宅急便といえば・・・この辺にスポットがあたることが多い。
後には、多くの障がい者の自立と社会参加を支援する、スワンベーカリーを、なんと月給10万円以上を目指して進められた。行き過ぎた合理的資本主義に小倉が警鐘を鳴らす行為であったことは間違いない。
だが、それには、乾坤一擲の新ビジネスで成功したからこそ、行なえる事業であることも忘れてはならない一面である。
・・・「デメリットのあるところにこそ、ビジネスチャンスがある」(小倉昌男)***
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<参考資料>
*『経営はロマンだ! 私の履歴書・小倉昌男 (日経ビジネス人文庫)』より。
**『経営学』,日経BP社,1999.より。
***最後の言葉は下の参考資料『心に響く 名経営者の言葉』より。
<小倉昌男に関する参考資料>
*ビジネスケースとしては、慶応、一橋から発行されています。BookParkから購入可能です。
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