『幸之助論』に学ぶ

2008年4月22日

MBA 経営者の言葉

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今日の勝利者は、ますます1930年代の松下電器の姿に似てきている(p120)」『幸之助論―「経営の神様」松下幸之助の物語』において、コッターがリーダーシップ論として経営の神様、松下幸之助を取り上げた。

ご存知のように、松下幸之助は、まともな学校教育も受けず、縁故もない、貧しい少年が世界最大の企業のひとつを創り出し、自国の経済革命をリードする地位にまで昇り詰め、その生涯を日本の国民的英雄として閉じた人である(序章 経営の神様より趣意)。
何もなかった彼にあったもの、それは「勤勉と競争心、そして夢を実現させようとする強固な意志(p83)」であった。

そして、成長の最中でも「従業員には多くを期待し、その代わりに彼らを尊いものとして気遣った(p119)」
マネシタと揶揄されることもあるが、「発明は他社に任せ、より良い製品を作り、それを賢明な販売戦略で売る(p119)」ことはビジネスシステムとして優れていないと出来ないことでもある。

これは、経営陣が周囲に細心の注意を払い、彼らなりの手法を編み出したのであり「真に競争的な環境で成功するためには、一般にこの種の方策が有効(p119)」なのである。

巨大化が進む組織では、朝会で綱領と信条を唱和し、経営理念の浸透を図った。1930年代の話である。あれが「年に15%売上げ拡大のために働くと毎朝誓えと言われていたら、悪い意味で専制的で強欲であるとみなされていただろう(p134)」

西欧には独特に写るかもしれないが、松下(限らず日本企業)における、ある種独特の結束力や使命感は、このとき、遠大な人道主義的目標を掲げることで、巨大化する組織の弊害である「驕り」を排除しつつあった。

そうして、事業部制に結びつくのである。これは「経営能力のある人材を育成するもの(p142)」であり、(当時としては)早くから経理情報を従業員にも公開し、「労働者のエネルギーと集団の知恵」をうまく引き出せていた。

例えば、生産ラインの効率を高めるために、同時に二つの作業が出来るように湾曲した生産ラインにしたり、工場労働者はチームで活動し、部品の価格、生産量、賃金の基準などを監督、打つ手をうたない上級管理者は容赦なく責任を取らせた(プライドを傷つけるのは最小限な配置換え)。

この当時からこうであるから、近代工場における「生産性向上」を謳ったものは、「責任を取らないトップの人員削減策」でしかない。

しかし、その後松下を待ち受けていたのは、「数百万人の人命と国家資産の四分の一を失う代償を強いた戦争」であった。「松下電器は飛行機や船を大量生産することを求められ、軍需工場化し、負債はいたるところに残り、従業員は疲弊していた(p160趣意)」

それは、もはや家電製品メーカーとは呼べなくなってしまっていたのである。事業部制は、「規模の経済を重視する中央集権的なもの(p184)」になり、とうとう、1930年の不況の際にも一人も解雇しなかった松下電器が、1950年に初めて解雇(13%相当)せざるを得なくなってしまったのである。

その難局を切り抜け、ニューヨーク訪問、フィリップス社との合弁などにより世界の市場に目を向けていく。
飛躍的な成長を遂げた巨大企業の堕落に対し、売上4倍、週休2日制の実現、欧米並みの賃金と国際化する経済を見据え、果敢に挑戦していった。

引退後は松下政経塾、PHP研究所など「教育」に取り組んだ。

コッターは彼の成功要因として、「知能指数やカリスマ性、特権、幸運その他諸々の要因にあるのではなく、まさに、その成長にある(p270)」と彼の生涯にわたる学習姿勢に要因を見出している。その姿勢は、経営幹部はもちろんのこと、従業員にまで浸透させようとしていた。

・・・「企業の将来に影を落とす最大の原因は、・・・(中略)会社経営であり、とりわけ経営陣の態度にある(p196)」

人、もの、金、それらの社会資本を使っているのである。利益率が上がらないのは、社会に対する一種の犯罪行為である。(松下幸之助)


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