マーケティング(Wikipadia)は、「社会上・経営上のプロセス」で企業の統合的活動である。マーケティングミックス(Wikipadia)を単に暗記することではないし、単なる広告、宣伝の実行部隊でもない。それらは、確かに必要なこと、というより統合的活動を行なう上では前提である。本日の記事はその実行者=リーダーの性質に関するものである。
コリンズは、『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』にて、「良い企業を偉大な企業に変えるために必要なリーダーシップの型」を研究し、意外な特徴を発見した。
「万事に控えめで、物静かで、内気で、恥ずかしがり屋ですらある。個人としての謙虚さと、職業人としての意思の強さという一見矛盾した組み合わせを特徴としている」(同書p18)。
***第五水準のリーダーシップとは(ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一訳)『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』日経BP社、2003、p31を参考に作成)
彼らの改革は、地味である。いわば、地殻変動に類似しており、革命、劇的な改革、痛みを伴うリストラを行なわないし、革新的技術に頼ることがない。また、それを主要な原因にしない(第一章趣意)。
例えば、キンバリー・クラークのダーウィン・E・スミスは大物ぶることがなく、配管工や電気工と話すのが好きで、休暇には自分の農場でショベルカーを運転し、穴を掘ったり岩を動かしたりしていた。英雄として認められようとしたことも、偉大な経営者というイメージを作り上げようとしたこともない(第二章p28-29)。
彼らの策定する戦略はスマートである。コア・コンピタンスでもなく、長年行なっている、いや従事していなくとも「自社が世界一になれる部分」でキャッシュフローと多くの利益を大量に生み出す効率的な方法を見抜き「経済原動力」とする。そして、それに「情熱」をもって取り組めるものの概念を加え、選択する。従って、意外に地味な産業であることが多い(第五章p152-153)。
実行に当たっては、第四水準のリーダーにありがちな「一人の天才を千人で支える」方式はとらない(10年ぐらいならこの方法でもいいですが、本書は持続可能性に関することがメインテーマなのでこういう記載になります)。この方式は目標があり、その実現に向け能力の高い兵士を集めることになるが、彼らは、まず、適切な人材を集め強力な経営陣を築き上げ、それから、最適の道を模索するのである(第三章p74-75)。
その集まった経営陣、従業員は「規律ある人々」であり、余分な管理はいらない。「人ではなくシステムを管理」する。組織で言えば、「規律と創造性」の関係から、規律の文化は高く(官僚的ではない)、起業家精神の高い組織となる(第六章p194)。
結局は、第五水準のリーダーは規律高い文化を築くのである。決して「規律をもたらす」ことではない。
その 反例の典型 として本書p211に取り上げられた、リー・アイアコッカの労働組合との交渉での発言が、その姿を投影している。
「協力なんかできないと言うんだったら、お前らの頭を吹っ飛ばしてやる。明日の朝、倒産を宣言するからな。全員失業するんだぞ(本文そのまま)」
こういった企業では、規律の文化は低下し、起業家精神の低い「官僚的組織」になってしまう。人を管理し、システムを管理・・・コストが肥大化し、経営を圧迫する。
創業者が長く政権を得ていて綻びがでてくるケースなどでは第五水準を思い起こす。
・・・しかしながら、彼ら(本書で”暴君”と表現されたリーダー達)はまだマシなのかもしれない。少なくとも在任中の株価は上昇し続けたのであるから・・・。
<参考書籍> <関連書籍>
photo (C) Maco
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