企業が提供する製品・サービスの良し悪しを測る測定系は「品質」である。日本の企業においては、「高品質」を生み出す活動に誰も異論はない。だが、「高品質」とは何だろうか?ここでは、ブランド・マーケティングの立場から、機能品質と知覚品質をとりあげる。
*今日の記事は少し長めです。
機能品質はいわゆる「スペック」に代表される。食料を低温で保管できる機能庫は冷蔵庫であり、安定して低温に制御できることがメーカーのスペックである。
これは、R&Dから製造部門までがよく知っている。やがて、製品が普及してくるにつれ、顧客は低温で保管できることに加え、種々の機能を要求する。
いわゆる、成長期にあたり、製品は「花形」(or「金のなる木」)へ進んでいく。この間、企業(この例では製造業)は、QC(もしくはTQM)、QFD(品質機能展開:顧客の要求を設計、生産レベルの仕様に落とし込み、企業活動を展開していく方法)を活用し、要求品質を維持、獲得しつつも安く大量に生産することを実現する。
やがて、長年の改良により顧客の期待は高まり、満足する知覚品質(顧客の知覚に基づく総合的な品質)の水準を達成することは困難になっていく。
この品質をよく知っているのは、広告・販促や営業・流通部門である。この価値は顧客が費用に結びつける知覚と結びつけることが多い(知覚価値)ため、主な測定者は顧客である。
価値創造という広い視野からは、企業の競争優位について、ポーターがバリューチェーンを提唱し、創造方法を明確化している。この課題への取り組みは企業により様々である。
この知覚価値を高めることは、機能品質→知覚品質との流れのなかで、ブランド力の源泉となる。顧客はその価値に対して費用で評価するほかに、他の製品購入の意思決定をする場合があるからである。
「この前購入した冷蔵庫が日立製で長いこと使用できた。機能も充実してたし、今度の洗濯機の買い替えは日立製にしようかしら」
さて、この両品質の均衡は企業の永続的な課題である。費用面で低い評価で知覚している顧客に、大きな資源を投じ、機能品質を大きく向上することは議論の余地がある。また、逆の場合の顧客の評価をくつがえすことも企業は尻込みしてしまう。
ということは、技術者はなにがなんでも良いものを開発しなければならない、ということではなく、それもオプションの一つである、ということであり、大きな技術改良、カイゼン程度、原価を下げるものなど、準備し、好機に備えなければならない。
IMDの国際競争ランキングの日本の低迷に危機を抱き、MOT教育が普及したが、その際、”イノベーション”の”技術革新”の面ばかりの認識となり、多くの誤解を生んだ。
それほど頻繁に製品改良を行なわなくていい業界でも(誤解のないようにですが、これは、顧客の価値認識のスピードを無視してという意味です。)、頻繁に改良ゲームが展開され、疲弊していった。
R&Dはともかく、製品として進みすぎるのは、顧客への教育費用、新たな生産ラインの設置など大きな費用が発生するほか、進みすぎた製品に対して、競合企業に競争軸を変化させる(現実味を帯びた)開発オプションを与えてしまう。加えて、競合企業の様子見という待機オプションの価値が減じてしまい、チームのオプション価値は減少してしまう。
その大きさの程度が、クリステンセンの提示した「破壊的」である場合、企業は同一セクション(事業部など)でのマネージは困難を極める。
ならば、低価格高品質じゃないか、と思われるが、made in Japanを製品に印刷するのであれば、その方向を追及することが、従業員の創意工夫を促す学習文化である。
また、マネージャーは、その定量化をしなければ、コストダウン、品質向上の無限連鎖に陥り、組織の官僚化を招いてしまうことだろう。
・・・日本においてもいよいよ、上級管理者の腕が問われる時代になってきたようである。
<参考図書>
*右の図書は第12版の邦訳ですが、今回はコトラーに加え、ケラーとの共著となっています。
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