我々の意思決定は、制約された条件下で行なわれる。それは、環境が複雑だからである。
例えば、利潤を最大化する経済学では、あらゆる選択肢での完全な情報において、合理的に意思決定を行ってきた。しかしながら、完全な情報とは存在しないので、すべての中から最適解を求めるのではなく、与えられた選択肢のなかで最大満足の方法を選択することが現実的な行動である[1]。
いわゆる「限定された合理性」である。
設計行為においても同様である。
我々はある法則を知っている。また別の法則も知っている。しかしながら、それらが組み合わさった場合、何が起こるかはわからない。逆に、複雑な現象から、ある法則をマイニングできる。いや、それは、アルゴリズムと呼ぶかもしれない。しかしながら、すべては説明できない。サイエンスもテクノロジーもすべて把握していて設計行為を行なうものはいない。また、真理をもとめることが設計行為ではない。企業研究所といえども、利潤に関係のない研究はわずかでしかない。
やはり、「限定された合理性」という言葉がしっくりくるのである[2]。
このような行為に対しての測定系はない。例え、それが利潤を生まなくとも、その行為による結果を、今後利潤を生む行為にしていけばよいのだから。
・・・銀の弾丸を探す行為は、青い鳥を探すのと同様の行為である。エグゼクティブは現場を見て考えよ。机上に答えはない。
<参考>
[1]組織行動の考え方―ひとを活かし組織力を高める9つのキーコンセプトp16
[2]「ものづくり」と複雑系―アポロ13号はなぜ帰還できたかp40-71 第二章限定された合理性
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