同じ会社にいても部署が異なれば、微妙にニュアンスや表現が異なる。日本は高コンテクストにコミュニケーションをとるので、「あれ、どうなった?」と聞かれても、「あぁあれですね。それは・・・」となる。
これが文化が異なると大きく異なってくる。
このことは、グローバルな企業でなくとも管理職には重要なことだ。
トロンペナールス&ハムデン‐ターナーは『七つの資本主義』にて、富の創出に関連し七つの次元を提示している。それらは:
1)普遍主義 vs.個別主義
2)分析 vs.統合
3)個人主義 vs.共同社会主義
4)自己基準 vs. 外部基準
5)逐次的時間観 vs. 同期化的時間観
6)獲得地位 vs. 生得地位
7)タテ社会 vs. ヨコ社会
である。
どちら側が良い、悪いではなく、この評価の場合の測定系は、種類である。普遍主義的なこともあるし個別主義的なところもあるが、どちらかというと個別主義に近い、ということである。
片側を説明すると:
普遍主義、分析は法則好きの分析症(普遍主義、分析)、個人に重きを置くので(個人主義)、基準は自己、自らが動くことで状況を左右できるのである(自己基準)。時間の進み方は逐次的、つまり、タスクが完全に分化され、ガンチャートに収まり(逐次的時間観)、地位は業績により獲得する(獲得地位)。無条件に年上に敬意を払わない変わりに、面倒を見てくれとは言わない(ヨコ社会)。
なんだ、当たり前のことじゃないか?と思われるかもしれない。
文化が異なれば、人の接し方、命令の仕方が変わることは当たり前である。
例えば、日本では外国人が年上の日本人に敬語を使用せず命令すれば、不自然に聞こえるなど、文化が異なれば、使用する言語の表現も変えなくてはならない。
・・・そう考えると、アメリカの経営手法を日本語で導入することは極めて不自然である。(英語で行なえば、その手法のニュアンスも少しはわかるのに・・・)
<参考>
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